糸東流 日本空手道養心会 本部道場
空手の歴史と養心会
沖縄では、首里(シュリ)、那覇(ナハ)、泊(トマリ)の三箇所に、それぞれ特色ある空手が伝えられ、研究も盛んでした。この頃沖縄では拳法のことを「からて」といわず、単に「手」といっており、それぞれの地名を冠して首里手、那覇手、泊手と呼んでいました。
琉球は、1609年以降、薩摩藩の監督下に置かれており、主に琉球士族のあいだで秘密裡に修業されてきたため、「手」が日本本土への伝来が遅れたものと考えられます。明治維新により、1879年に沖縄県となり、琉球王国が滅亡すると「手」の担い手であった琉球士族が没落していき、「手」の修業どころではなくなり、失伝の危機を迎えました。糸洲安恒の尽力により、1901年(明治34年)に首里尋常小学校で、その後、中学校、師範学校で体育科に取り入れられ、一般に広く公開され「からて」と呼ばれるようになりました。また、糸洲安恒(イトス アンコウ)は生徒たちが学習しやすいように平安の形を新たに創作しました。