糸東流 日本空手道養心会 本部道場






 














































   

養心会




養心会の成立ち
 糸東流の開祖摩文仁賢和は、首里手の大家・糸洲安恒について糸洲派を学び、後に那覇手の大家・東恩納寛量に東恩納派を学びました。
 警察に勤めながら、地方に隠れた首里手、那覇手以外の形・技法について研究し、松村派、新垣派などの各派を修め、空手以外には琉球古武道の棒術、釵術を学びました。
 それら全ての技術と精神を融合、融和させたものが糸東流空手道です。
 その技法上の特徴は、単に突き蹴りだけでなく、投げ、逆技といった技術をも含み、まさに総合武道というものです。
 「守・破・離」(基本を忠実に・それを応用し・そこから独立する)という言葉に代表される様に、形という基本を守りながら、それを応用し、組手と結び付けていくことによって作り上げられた分解組手などに、その奥義までをも修めることが出来るように体系ずけられています。
 
 1934年(昭和9年)3月流祖摩文仁賢和が、大阪に「養秀館」道場を設立。これを契機に糸州、東恩納両師の頭文字を取って「糸東流」を名乗りました。修業では、精神教育に重点を置いた開祖摩文仁賢和は「君子の拳」を標榜し、円満な人格の形成・向上を目指した指導を行いました。

 養心会会長の立花先生は、関西大学工学部空手道同好会で練習しながら、週1回糸東流本部(養秀館2代目宗家摩文仁賢榮)で形を中心に指導を受けました。一時空手から離れていましたが、千唐流香具波志会舞子道場で再び空手を始めました。1968年のことです。ここでは、千唐流と糸東流の形を練習しながら、組手主体で修業していました。また、この間、インターナショナル空手古武道連盟養秀会(宗家・会長山元勝王(守);本部北九州市)で、組手・古武道の指導を受けました。香具波志会が舞子を離れるにあたって、「糸東流 日本空手道養心会」と名称を改めました。1981年のことです。
 養心会では、ほぼ毎年、親善大会や夏合宿(神鍋)を行ってきました。立花先生は、舞子道場で子供たちを教える傍ら、愛徳学園武道同好会の指導や県立兵庫商業高校、須磨学園でも高校生に空手を教え、さらには、台湾、中国、中南米など広く海外へも空手を紹介しました。一方では、舞子道場だけでなく、新多聞教室、清水が丘教室でも子供たちに空手を教え、地域の祭りや催しへの参加により、スポーツを通じての教育の重要性を実践し、新聞などにも取り上げられました。これらの活動による地域への社会貢献が認められ、兵庫県こうのとり賞を平成17年12月3日に受賞しています。
 このように、空手を通じて地域との交流や青少年の教育を続けて、2018年現在、舞子の地で空手を始めて50年になります。
 「養心会」では、幼児から小学生を中心に、成人や壮年まで同じ時間と場所を共有して、一緒に汗をかきながら練習しています。空手という体育・健康面の充実だけでなく、人格形成や人間修業の場として個の自立を目指しています。
                                 (以上、文責管理者)